歴史博物館の案内ページ。 街道Walkerの視点から、役に立った資料館に☆の数でお勧め度を表しました。

  ☆    :街道についての資料、展示がほとんどなし。近くに寄れば入ってもいい。
  ☆☆  :街道についての資料、展示はないが、歴史博物館としてはよい。
  ☆☆☆ :街道あるいは関連ジャンルについて、理解を深めたり、発見があった。ぜひ訪れたい。

ホームページのある博物館はURLアドレス(リンク設定)しているので、休館日、開館時間、入館料、
交通はリンク先でご確認ください。 無いものについてはパンフレットに記載されたものを掲載しています。


     高槻市立しろあと歴史館
 街道レート: ☆☆☆
大阪府高槻市城内町1−7
 (休館日、開館時間、アクセスについては下記ホームページを参照)
  http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/shiroato/index.html

コメント: 入館無料。施設も新しく展示方法も予算をかけて工夫して
あるのがわかる。
 高槻城の規模の変遷が模型やパネルを使ってうまく展示してある。
西国街道もコーナーを取って展示してあり、高槻市内にあたる芥川宿について
の解説も充実している。 芥川宿絵図(享保19年/1734年)には当時の様子が
街道沿いの家単位で細かく描かれており、市指定文化財なのでここでしか見る
ことは出来ない貴重な史料。
 また「山崎通分間延絵図」の芥川宿から別所村までの区間が展示してある。
街道以外では、「城下の住まい」として、井戸を上水道のように施工して
いた展示があり、大きな川を側にもつ高槻の地下水の豊富さを認識した。
 役人の人事・給与台帳の史料はサラリーマンにとって、当時のサラリー
マンである武士(役人)に親近感を覚える展示だった。
 「年中行事と遊び・学び」では和算の問題集が展示されており、鶴亀算が
実例として解説してあった。 時代劇ばかり見ていては、知る由もないが、
こうした江戸時代の人々の数学力の高さは侮れない。

 展示は1階だけだが、郷土の歴史を等身大で、身近に感じるような展示
が随所に工夫されている。
ただ残念なことに、「城跡」を冠した歴史館だが、高槻城がその後どうやって
破却されていったかについては、さらりと「東海道線の敷石に使われた」と
流してあるだけだった。

 この資料館は高槻城・内堀の北西角にあたるが、かつて大手門があったところも、どこもかしこも住宅、
あるいは学校になっており、かつて城郭があったことを示す堀もなければ、石垣もない。
ただ、このあたりの道路は妙に曲がり角が多いことが、かすかにただの場所ではなかったことを思い出
させる程度である。 それくらい高槻城は完全に抹消されてしまった。

 全国200以上の城郭建築は、明治維新で国有化され、代々続いた為政者が居なくなり、あるものは
旧弊の象徴として破却され、木材は炊きつけにされるなど、多くの城郭が領民の手で姿を消した。
大東亜戦争末期に、米軍の日本焦土作戦で焼けたものよりも、実は維新の時の方がはるかに多い。
明治新政府が積極的に破壊を指令したとも思えず、このとき民意の大変化があったのではと思っている。
その疑問を解く上での史料がなかったのがいかにも残念だった。


   大山崎町歴史資料館

 街道レート: ☆
京都府乙訓郡大山崎町大山崎字大山先小字竜光3
 大山崎ふるさとセンター2F
 (休館日、開館時間、入館料、アクセスについては下記ホームページを参照)
  http://www007.upp.so-net.ne.jp/ofg/n0201.htm

コメント: 阪急京都線大山崎駅から約50mほどと電車のアクセスはよい。
大山崎町は天王山と淀川、木津川の合流する大きな河川地帯との間に
ある狭隘な土地で、それが立体模型で俯瞰できる。
 都へ攻める者、守る者にとって戦術上、重要な場所であることが連想される。
「天王山の戦い」は守勢の明智光秀と攻め上る秀吉との合戦(山崎の戦い
1582年)が有名だが、幕末1864年、7月20日には前日の蛤御門の変に
つづき新撰組が長州勢を追い落とした戦いも「山崎天王山の戦い」と呼ばれ
ている。ここは地政学的な要衝の地である。
 また、淀川に接しているので大消費地、京都を背景に水運で栄え、中世、八幡信仰と結んだ荏胡麻を
材料とした油の独占で栄えた山崎の油座が有名。
 展示スペースはそれほど広くなく、常設展は「大山崎町の歴史と文化」として、古代コーナー「交通の
要衝とその文化」、中世コーナー「油生産と町の繁栄」、近世コーナー「城下町から神領支配へ」と3つの
パートに別れ、妙喜庵待庵の実寸復元が展示されている。
 全体のテーマとして、「町の歴史を概観する」というスタンスで展示がまとめられており、その意図では
成功しているものの、特定のテーマを深く掘り下げて展示するまでにはいたっていない。
 見どころとしては、やはり待庵の実寸復元モデルだろう。本物は茶室の中までは普通見ることはできない
らしいが、茶室の魅力は概観ではなく、やはりその中に身を置かないと分からない。この展示も茶室の中
に入れるわけではないが、躙(にじ)り口から天井の造作、壁など垣間見ることができる貴重な展示である。

 街道関連としては「山崎通分間延絵図」1807年(文化4年)の大山崎町にあたる部分が展示してあったのみ。
この絵図では、西国街道が東大寺村から離宮八幡宮の南側を通って観音寺の南側で分岐していることが
分かる。嵯峨方面へ伸びる「唐街道山崎道」と、淀宿方面へ向かう「山崎街道」と書き込んである。


   近つ飛鳥博物館

 街道レート: ☆☆
大阪府南河内郡河南町大字東山299
 (休館日、開館時間、入館料、アクセスについては下記ホームページを参照)
  http://www.mediajoy.com/chikatsu/index_j.html

コメント: 安藤忠雄設計の斬新な外観の建物。内部のデザインも新鮮。
飛鳥時代にフォーカスした展示がメインだが、完成時の仁徳天皇陵と周辺
を再現した巨大な模型が秀逸。 小さな人形が飯場に集っていたり、役人の
行列があったり、完成当時の様子を当時の人間の視点で想像させるような
みごとな巨大模型である。 また現代工法で同じものを作った場合の工期、
費用を当時の工法と合わせて比較したハイビジョンコーナーの映像資料も
優れている。 現在はこんもりとした森にしか見えない仁徳陵を、土木工事の
視点から、認識をあらたにさせられるような印象的な作品だった。
 こういった、従来の博物館のイメージとはちょっと違う雰囲気の中で新鮮な展示方法が目を引く。
 このあたりは竹之内街道、東高野街道の交差する古市も近く、長尾街道も遠くないので期待していたが、
街道関連の資料、展示はなかった。
 展示のコンセプトが飛鳥時代なので、特別展で取り扱われることを期待している。
しかし、建物の鑑賞も含めてここはお勧めの博物館のひとつにあげる。

チケットカウンターで販売している、ミニはにわ(1個200円)、勾玉携帯ストラップはお勧め。

交通は、近鉄河内長野線喜志駅から「阪南ネオポリス行き」バスだが、不便な場所なので車で行きたい。
また、ここから竹内街道博物館は車で5分ほどの近さなのでセットで訪れたい。


  太子町立竹内街道歴史史料館


 街道レート: ☆☆☆
 大阪府南河内郡太子町大字山田1855
 休館日: 月・火曜日(祝日の場合は開館)
       祝日の翌日
       年末年始(12月26日〜1月7日)
 開館時間: 午前9時半〜午後5時
 入館料: 200円  (特別展期間中は入館料を変更することがあります。)
 交通: 国道166号線 「道の駅 近つ飛鳥の里太子」駐車場から徒歩5分






コメント: 竹内街道の資料が充実。地形モデルには竹内街道、長尾街道など
ルートがよくわかり参考になる。 生駒、金剛山系の峠越えの展示パネルは
各街道の峠越えをそろえてある。

平成15年度特別展、「竹内街道と間道の軋轢」は街道Walkerにとっては
必見の展示。
太子町山田の鹿谷寺跡のあたりから当麻寺への近道として岩屋峠越えの道
があるが、江戸中期に竹内街道と岩屋越えの分岐点へ置かれた道標「井関
の道標」が當麻村と竹内村との間で訴訟に発展した。 この道標は當麻への
案内で分岐点の手前に設置してあり、「是より13丁程東」が岩屋越えの分岐
点を示す、「予告信号」的な全国でも類例のない道標という。
しかもそれは、分岐点から移設されたあとに彫られたものがレイアウトから分
かり、河内名所図会での位置からも証明される。
 現在は一般に顧みられることもない道標が当時は村同士の経済問題に
発展していたことは興味深く、道標にこめられた当時の人の思いが伝わって
くる。

 現代では、道路標識、街灯、橋などは社会基盤として国が用意するものと
いうのが常識であり、疑わない。
しかし当時は、利用者や利得者が用意するという地域単位で用意したことを
思い出させる。今、高速道路などの道路行政がゆれているが、こういった歴史
に鑑みて基本に立ち返って考えることも無駄ではないだろう。
 ひとつの道標が現代を考えさせてくれるような、そんな奥深い展示だった。

 窓口で販売するパンフレット(平成15年度企画展『竹内街道と間道の軋轢』)
に豊富な資料写真とともに収録されている。 また、竹内街道のルートも地図で
表してあり、これは手元に置いておきたい。(¥1000)

国道166号線の道の駅の駐車場に入れると、建物を通り抜け橋を渡ると竹内
街道に出る。案内の標識にしたがって徒歩5分弱で博物館に着く。 最寄の
「近つ飛鳥博物館」とはセットで訪れたい。

 車で帰るとき、カーナビにコースを任せたら、竹内街道に沿って案内を始めた。
対面通行不可の狭い道を、「対向車が来ないように」強く念じながら運転した。
月読橋を渡ると、さらに狭い直角に曲がる街道であり、前を走る4トントラックが
立ち往生してた。
たぶんトラックもカーナビに騙されたのだろう。月読橋は渡らずに新道を直進
できるが、はじめから竹内街道に入らずに幅の広い道路を通るべきだった。
 街道によくある 三桁国道にカーナビが騙されたことが原因。
運転するときは旧街道は避けましょう。


  向日市文化資料館

 街道レート: ☆☆☆
京都府向日市寺戸町南垣内40−1
 075-931-1182

 休館日: 月曜日(祝日の場合は開館し、翌日と翌々日を休館)
       祝日の翌日
       資料整理日(毎月末。ただし土日の場合は開館し、
               次の火曜日を整理日とする)
       年末年始(12月27日〜1月4日)
       展示準備期間 (不定期)
 開館時間: 午前10時〜午後6時 (入館は午後5時30分まで)
 入館料: 無料
 交通: 阪急・東向日駅より南西方向へ徒歩約8分

コメント: 長岡京についての展示がメイン。 造営に携わった人々を代表的な3タイプに分けて、
資料より起こした実在の人物について、衣食住にわたって具体的に説明。 当時の食事の再現、
暮らしぶりがよくわかるような工夫を凝らした展示がされている。 長岡京という郷土の歴史に焦点
をあて、生活者としての当時の人が想像できる。
 販売資料、『特別展 西国街道と向日町 1999』(¥500)は起点である京都の羅生門跡から山崎
までのルートが現在の地図上に描いてあり、まさに探していた資料。 これで不明だったルートが解明できた。

 向日市・市役所の側だが、このあたりは古い町割りがそのままに残ったところなので、駅からの道はちょっと分かりづらい。 


      京都文化博物館

 街道レート: ☆☆
京都市中京区三条高倉
 (休館日、開館時間、入館料、アクセスについては下記ホームページを参照)
 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/bunpaku/

 コメント: 特に街道関係の資料は見当たらなかった。
しかし、別館の旧日本銀行京都支店の建物は重厚で、内部も公開されており、
一見の価値はある。しかも催し物でコンサート、映画上映にも使われており、
喫茶室もある。
 本館は2階が常設展示場。 平安京以後、京都は工芸品の生産の中心だが、
それらは衣類、アクセサリ、武具、什器など日用品であったり、美術品というより、
実際の用に供せられていた品々の生産拠点であったことを思い出させる。
今でこそ、着物、扇子、鎧兜といてば伝統工芸品として棚に祭られて、日常の用
からは離れてしまっているが、現代になぞらえればアパレルや家電メーカーの
生産拠点ともいえるだろう。京セラ、OMRON、島津、ワコールなど、
「ものづくりの町」としての伝統が今に受け継がれていることを印象づけられた。