第 47回 中ツ道(橘街道)  近鉄奈良駅 - 桜井市西宮   2006年5月6日


 中ツ道は藤原京から平城京へ遷都後に作られた官道で、藤原京の東端から
北へ延び、平城京の東端に繋がるとされてきた。
しかし、近年の発掘調査では藤原京の大きさは考えられてきたものよりも大きく、
平城京よりも大規模のものであったらしい。

 かしはら探訪ナビ 都と古道 (藤原京の図。5.3km四方の大きさだったのでは)
 中ツ道跡と朝堂院東南隅回廊跡の現地説明会を聞く
 (25m幅の道跡が香具山の西で発掘された。

南北の幹線道路であった、上ツ道、中ツ道、下ツ道だが、いずれも唐にならって
現代の高速道路並の道幅のものを作ったものの、遷都により往来が少なくなると、
次第に多くの部分が農地化していき消滅した。
このサイトでは考古学というよりも、近世あたりに先人が歩いた道や風景を追体験
しようという嗜好の方が強い。

そこで左の古地図(嘉永年間)で再現できる区間を参照にして歩いてみた。
上が北で、平城京跡は記されて居らず、地図中の赤い枠は上から、
                   明教館 多聞屋敷
                   (文字潰れで不明)
                   興福寺
 松平甲斐守御城 (郡山城)

という配置から地図上部は、現代では近鉄奈良駅近辺にあたる。
興福寺のすぐ北側に現代では奈良県庁があり、南側の水色が猿沢池である。
その西側に南北に延びる道が、この当時は橘街道と呼ばれた中ツ道の痕跡である。
地図に記された地名を街道沿いに北から南へ順に記していく。
(橘街道にはオレンジ色の点線を書き加えている)

開化帝陵 油坂 三条 (佐伊率川(現存せず)を渡り) 杉ヶ町 城戸 木辻
 
(と東へ湾曲していき) 京終 (でまた西は湾曲し、能登川、飯合川(現、岩井川)
の合両手前でそれぞれ渡り) 神殿 北ノ庄 (地蔵院川を渡り) 井戸野
千束 
(高野道を分岐し櫟枝へ分かれる) 鉾立 喜殿 杉本 (布留川を渡り) 
西井戸堂と、東井戸堂の間を抜け、 ヨコビロ 武蔵 為川 蔵堂 (大和川を渡り)
味間 大田市 東竹田
 (寺川の東岸沿いに進み 新屋敷から渡る)大西 大福 西宮
で横大路に合流

現在もそのままの地名が大半であり、地名として消滅してもため池に地名が
残っていたり(千束)、橋に名前が残っていたり(横広橋)するのはさすがに奈良の
伝統を守る素晴らしい美点である。

橘街道はこのまま南行して橘寺の東に出て、さらに芋峠を越え吉野へ向かうが、
この地図では横大路に西宮(桜井市・三輪神社西側で合流)して終わっている。

今回の街道ウォークではこの古地図の地名を元に、昭文社「でか字まっぷ奈良・大和路」
 15000分の1 地図を持って歩いた。
 10:00、近鉄奈良駅を出発
国道369号線を挟んで油阪町
あり、開化帝陵は道路の南側に
ある。

開化帝陵の西側から南へ三条町、
杉ヶ町があるものの、東城戸町、
南城戸町は、反対側、県道44号線
「やすらぎの道」の東側にあり、
迷うところだ。




まずは駅前の交差点を南へ、
「やすらぎの道」に手がかりがないか
曲がってみることにした。
すぐに目に付くのが、漢国(かんごう)
神社。
奈良時代以前の創建で、祭神は
園神 大物主(おおものぬし)命
その後、藤原不比等が韓神(からかみ)
二柱を祀らせた。
 大己貴(おおむなち)命
 少名彦(すくなひこ)命
平安末以降は春日大社の末社として
興福寺の支配を受けた。




 上三条交差点に「奈良観光
センター」がある。ここには中ツ道
に関するパンフレット類は無かった。
古地図の「城戸」には目をつぶり、
開化陵西側のルートで、南へ直進
できる道をたどることにした。
観光センターで西へ曲がると土産物
屋が並ぶ観光道路になっている。
この三条通の、王将と近畿大阪銀行
の間にある道が南へ延びている。




三条町杉ヶ町、大森町と歩き、
西木辻町で突き当たり、道沿いに
JR桜井線に平行に進み、
保健所手前で南行する。

写真:右)JR桜井線の踏切手前
狭い道だが交通量は多い。







桂木町から、南京終(きょうばて)
に入り、能登川と岩井川が合流する
手前の道を進む。
写真:右は能登川に架かる橋。
この辺りは古地図でも確認できる
のだが、街道が杉ヶ町から大きく
東へ湾曲していれば、城戸を通る
ことも考えられる。
いずれにしても杉ヶ町からここまで
の1kmほどの間は、街道は不明
である。



写真:左)
岩井川を渡る。
古地図では飯合川となっているが、
音は似ている。

写真:右)
南京終町でジャスコ駐車場方向へ
右折して、県道754号線へ合流
する。
合流箇所手前の様子。




県道754号線沿いには郊外型の
店舗や食堂が並んでいる。

写真:左)
神殿(こどの)


写真:右)
北之庄 (北ノ庄)

この辺りの作業着ショップでメッシュ
のベストを購入 ¥980。
スポーツ用品店の1割程度

陸橋にある道路標識
(和歌山95km、橿原15km)
この先で地蔵院川を渡り、今市町
の上三橋交差点で県道51号線に
分岐する。

写真:右)
上三橋交差点
うどん屋の広い駐車場の角で、県道
754号線から斜め30度くらいの角度
で分岐している道が県道51号線。
狭い道なので勘違いしやすい。


うどん屋角の道標
写真:左)
南方向へ写す
向うに車列が見える
のが県道51号線
街道はその方向。

写真:中)
東方向へ写す
ここで直角に曲がる
県道51号線


写真:右)
北方向を写す
これまで歩いてきた道



 井戸野町で大和郡山市に入る。

写真:右)
昭文社の地図では直進だが、
実際は交差点はずれており、
信号の先へ進む。








写真:左)
 菩提仙川を渡る。高橋。
ここから南南東200mにある
石川町のため池は、「千束池」
古地図にあった地名がため池
の名で残っている。

写真に写っているのは全部県道
51号線だが、道幅が所々で2車線
になったり、街道サイズの幅になっ
たりしている。狭いところでは車の
すれ違いがたいへん。


石川町の集落を抜け、古びた県営
白土団地に昭和の風情を感じ、
辻堂橋を渡ると、天理市櫟本町
(いちのもと)に入る。

写真:左)
川の向こうにあるとがった屋根の
ビルが県営団地。
川縁でコンビニで買ったパンを
食べる。
12:00から10分ほど休憩。



写真:左)
遠くに横切っているのが、
西名阪自動車道路。
写真には写っていないが、右方向
に天理PAがある。

写真:右)
高架をくぐってすぐに業平姿見の
井戸がある。






井戸には汚れているものの水が
張ってあった。
説明文では『この道は業平が高安
の女のもとへ通った道だとして昔か
ら「業平道」と呼ばれている。』
とある。







櫟本町の道標
この左手にあるため池は、「鉾立池」。
古地図の地名が残っている。

道標

『西 右 丹波市  
    左 郡山    道 』

さらに、喜殿町を過ぎる。
喜殿池もある。



写真:左)
前栽(せんざい)幼稚園の
立派な建物に驚く。
横を通り、

写真:右)
近鉄天理線・前栽駅のすぐ東側
の踏切を渡る。






 おもしろい形の学習塾

その向うに見えるのが
JAならけん 二階堂支店
ここで布留川に沿って進む。









布留川を富杉橋で東側に渡る。

天理市富堂町











西井戸堂


井戸堂橋を渡る
布留川北流









西井戸堂町

山辺御県座神社
13:05










九条町
畑が広がり見通しが良い。

写真:左)
東側の風景
山の色からすると杉一色の植林
の山ではないようだ。
里山として手入れされてきたのか、
山並みの先にある三輪山のように
山を神聖視してむやみに手を入れ
ないのか、いずれにしても大和の
青垣は美しい。


写真:左)
布留川南流にあたる突き当たりの
様子。
ここで渡らずに、右へ曲がる。

写真:右)
横広橋のたもとに常夜燈がある。
古地図にヨコビロとあったのは
このあたりをさすらしい。





写真:左)
橋の向こうに見える木々のあたりが
長柄運動公園
橋を渡ると備前町

道を挟んで天皇神社がある。
道から入ると、本殿の裏に出る。
本殿は朱塗りも新しいが、室町初期
の一間社春日造。
天皇とは牛頭天王をさしている。


















 天理市武蔵
街道歩きの間、特大サイズの
鯉のぼりをいくつも見かけた。
端午の節句の翌日ならでは。

それにしてもさすがは奈良。
いい慣習がよく残っている。







 為川北方を過ぎ田原本町に
入る。
為川南方で大和川の川縁に出る。
県道51号線はこのあたりで終わり
のようだ。
川の対岸に木々が密集しているが、
そこには、八幡神社、地蔵神社、
村屋神社がならび、その手前は
公園になっている。

写真:右)
北方向を撮影
鯉のぼりのサイズが分かる。

 蔵人橋を渡ると、歴史街道の
道標があり、この道が中ツ道で
あると案内してある。


橋を渡って右手には駐車場もある
新しく広い公園がある。
かつては神社の敷地の一部
だったのだろう。





写真:左)
村屋座弥神社境内に入る。 (14:15)

忠魂碑かと思ったら、日清戦争のときのものだった。
「征清討臺戰従病没者祈念碑」


拝殿






−−−−−−−−−説明板より−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
村屋弥冨都比売神社 (むらやにいますみふつひめ)
 (別名 森屋の宮)
祭神 三穂津姫命(弥冨都比売命)
   大物主命

由緒
 主神三穂津姫命は、高皇産霊神の姫神で大物主命が国譲りをされたとき、
その功に報いるためと、大物主命に二心がないようにという願いから自分の
娘を贈られたという神話に出てくる神である。
 この故事から、縁結びの神、家内安全の神として信仰されれる。大物主命は
大神神社の主神であることから、その妃神である当社にも大物主命を合祀して
三輪の別宮とも称せられた。
 天武天皇元年(673)壬申の乱のとき、村屋神が神主にのりうつり軍の備え
に対する助言があったという。この功績によって、神社として初めて天皇から
位を賜ったと日本書紀に記されているほどの名神である。
現在正一位森屋大明神の呼称が残っている。
 境内には、「町の木」であるイチイガシの巨樹が林立し、この樹そうは奈良県指定
天然記念物となっている。
                                    田原本町

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中ツ道は壬申の乱の時、大海人皇子が布陣したとされるが、この付近で
合戦が行われた。その関係もあってか、北側に八幡神社がある。




写真:上段
 蔵堂のあたりの風景
見通しがいい。

江包に入るとアスファルト道は
行き止まりだが、あぜ道が真っ直ぐ
続いている。 このあたりで桜井市
に入る。

用水路には石の渡しが置いてあり
難なく直進できた。



桜井市大西
田原本町味間の境界にある
あぜ道。











県道14号線を横断する。













 橿原市太田市(おおだいち)町
橋を渡ってすぐに分岐している。
右手の道の先に天満宮神社
がある。

天満宮神社








天満宮神社のしめ縄
珍しい形をしている。


太田市町の街並み
中ツ道のなかで古い街並みが
最もよくが残されている







使用した地図に、不正確な箇所が
いくつかある。
道が直進になっているのにT字路
だったりする。
東竹田町でも地図の道と、実際の
道が異なっており、すこし迷ったが、
川沿いの道を南へ歩いた。







写真:左)
いったん車道に出たあとで南行する
べく西へすこし歩いたら、さっきの
東竹田町の集落から延びるあぜ道
を発見。 川沿いの道よりも
このあぜ道の方がより直進の道
写真は北方向を写している。

写真:右)
同地点で南側を撮影。
用水路の続きが見えるが、
そのまま直進できる。


東竹田町から桜井市大福にかけて
地図上では事前にルートを引き
かねていた。
古地図では寺川の地形が変わって
いないとすると、リサイクル館かしはら
のあたりで川を渡ることになる。

写真は東竹田町の寺川の手前
の様子。
用水路の土手道は途中から
親水公園のように造成中だった。



写真:左)
直進方向のリサイクル館かしはら
(?)と、耳成高校校舎が見える。
あぜ道はなく、直進できない。
寺川沿いに土手道を歩こうと
思ったが護岸工事中で立ち入り
禁止だった。

竹田橋で寺川を渡る。
南岸に常夜燈。




耳成高校の南側
黄色い横断幕によると、奈良では
毎月3日は「家庭教育の日」です、
とある。 奈良への興味は尽きない。

同地点より南を撮影。
香具山が直進方向にある。
向うにビニールハウスが見えるが
この細いあぜ道を歩くのに躊躇した。
後で分かったが、このあぜ道を
直進するのが正解。
 (15:16)


桜井市大福に食い込むかたちで中津道という地名があり、
公園が2丁目にある。中ツ道の発掘現場を公園として
残したものかもしれないと、回り道をした。
写真:左)
なかつみち公園。 畑の広がる中にこの町内だけが新興
住宅地の様子だった。町名はたんに因んだだけのようで、
公園にはなんの説明版もなかった。

写真:右)
そこからすこし西へ移動した橿原市石原田町のパン屋
看板には「パーティサンド、お供えパン、大量注文」とある
お供え用のパンって・・・。しかも注文は3日前まで。
いよいよ奈良はおもしろい。

石原田町で、線路を渡り、近鉄
耳成駅の南東で横大路に合流し、
三輪神社角に、そこが中ツ道との
合流点であると記されていた。
そこから北上してどこでまよったのか
確認した。
写真:左)
北向きに撮影。畑の向こうに見える
のが耳成高校。ビニールハウスは
2つ上の写真に遠くに写っている
もの。
写真:右)同地点より南方向を撮影。


橿原市石原田町と桜井市西宮
との境界を南進する。
上段右の写真の道を南下すると、
カーブミラーのT字路に出る。
そのまま地道を直進する。

写真:右)
近鉄大阪線の踏切を越える。






写真:左)
三輪神社南西角から北方向を撮影。

溝をへだてて木の根本にある説明
版に、この礎石が中ツ道と横大路の
交差した場所であると、記されて
いる。







 横大路にある三輪神社。
見覚えがある。












 当日の気温は最高25度。汗ばむ陽気だった。
途中、ペットボトル2本、昼食はパン、おにぎり1個ずつ。

 歩行データ
34,367歩/しっかり歩行 24,618歩
998Kcal/64.3g消費脂肪  24.05km

横大路の北の不明箇所は実際に歩いて見当がついたが、近鉄奈良駅
付近は開発が進んでいることもあり不明箇所はそのままだった。

これで上ツ道、下ツ道につづいて中ツ道も歩いたが、中ツ道は古くから農地に
なってしまったようで、通過する集落も少なく、街道風情はあまりない。


更新 2021/5/25